5月を待っても良いんだけど玉集めみたいなのなら貯め込んだ小判箱開いて頑張るけどそうでないなら幻と化すのが見えるぞ数珠丸。もうこれ運良く来たらミジュマルって呼んでやるわ(一部音が被っているからってこれは酷い)。
以下、日中に見てしまったが故に今日一日超ネガティブ思考発動な話ですので相手の心情に同調しやすい方はソッと戻ってください。
(※オープンアカウントさんなので迷ったけどスクショで公開失礼。)
数日前の私の言葉の、「相手が思ってるだろうと考えてしまう事」が正にこれ(上段三行目)で完全に流れ弾に当たって死亡の一途ですさんざしご臨終のお知らせ。
あとは 「好きな描き手さんじゃないと嬉しくない」とか「これくらい描けてないと(以下同文)」とかな。
まあ別に私は一般参加で何か配布とかじゃないんだけどさ、差し入れに何か描いて渡すのも(私の個人的感覚としては)それに近いわけで、そうなってくるともう、喜んでくれる方がいる反面もの凄い圧迫感というか描く作業に入る前から心に漬物石乗せられてる気分です…。まず「何を描けば喜んでもらえるか」以前に「何を描いてもそれを描いたのが私な時点で喜んでもらえない」という出発点からすでに違う道…。
同じような感じの話をするとね、ハガキ投稿やってた頃の経験だけど「トーンを貼ってある絵」と「トーン貼ってないベタのみの絵」だと実力云々よりも先にトーン絵の方が採用されるし、「ベタのみ」と「ベタ+模様とか線での表現有(トーン無し)」。だと後者の方が採用される。つまりな、絵柄と実力と見栄えの良さっていうのは絵を描かない・そういうものが見えない人からしたら見栄えの良いものから採用して行くって事なんです。結局受け取る側は常に「自分の好みに合うものや見栄えの良いものを望んでいるんだな」っていう私のトラウマとも言える経験が今のこの自信の無さに繋がっているのかもしれないなってこれ打ってて思いました。
別に万人にうける物が描きたいとかそんなんじゃなく、存在とか描き方自体が不要の第一歩的な感じだと最早打つ手がない不自由さに泣くしかないのが辛いなって。だからどんどこ喜んでくれる方にだけ描く方向に行っちゃいがちなんだよね。「私が描いたのなんぞ嬉しくなかろどうせ…」思考から抜け出せない。